子どもたちと取り組む探究学習!微生物の力で食品ロスをなくす!
日本で年間520万トン以上あると言われている食品ロス。
この問題を教育現場でBUIKという微生物発酵による食品残渣餌料とアクアポニックスの複合技術で解決!
持続可能な社会の形成を、子どもたちと一緒に取り組むためのお話です!
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講演詳細
講師 国立大学法人 東京海洋大学 教授 佐々木 剛 1966年6月 宮古市生まれ
元宮古水産高等学校教諭。2006年4月に東京海洋大学 海洋生命科学部 海洋政策文化学科 准教授に、2018年4月には教授に就任。
教諭時代に閉伊川でワカサギを発見、生態学研究で水産学博士号を取得。
2008年、宮古市でさんりくESD閉伊川大学校を立ち上げ、2010年「水圏環境リテラシー教育推進プログラム」で育成された水圏リーダーと首都圏中学校とともに運河学習をスタート。
2021年には国連海洋科学の10年の正式プロジェクトに認定され、2023年クラウドファンディングで東京海洋大学街コミュニティ・スクールを立ち上げた。
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もういちど7歳の瞳で地域を!つながりで芽吹く価値ある地方創生!
少子高齢化の地方、人口と経済一極集中の首都圏、これら課題を廃校などの不要施設を大人の学び舎にし人材育成と価値創造の場とする熱中小学校プロジェクト!
大人たちが地域に根ざした学びと食を中心とした交流で、輝くまちを創り出すお話です!
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講演詳細
講師 一般社団法人 熱中学園 代表理事 堀田 一芙 1947年 横浜市生まれ
慶應義塾大学を経て、米インディアナ大学大学院経営学部修士課程卒業。
元日本IBM(株)取締役PC販売事業部長、常務取締役ソフトウェア事業部長。
複数企業役員を務め、東日本大震災後は地方創生プロジェクトを支援。
2015年、山形県高畠町での廃校活用事業「高畠熱中小学校」を皮切りに「熱中小学校プロジェクト」を開始。
2019年に熱中学園を起業し、2022年には「老いてからでは遅すぎる」を出版。
プロジェクトは2024年4月から国内16校、米国シアトル1校体制に。また、日本みつばち養蜂家という一面も持つ。
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人と地球をHAPPYに!未来思考のエネルギー循環型農業!
水耕栽培と水産養殖を掛け合わせ、魚と無農薬野菜を同時に育てるアクアポニックス。
資源のムダと環境負荷を減らし、廃校を使った農福連携もできちゃう!
気候変動が叫ばれる今、水と肥料を最大限活用する地球にやさしい農業のお話です!
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講演詳細
講師 株式会社 アクポニ 代表取締役 濱田 健吾 1978年 宮崎県生まれ
文系大学を卒業後、豪州の小学校で日本語教師を2年勤める。退任後は専門商社にて国外の様々な新規事業を担当。
釣りを通じて実践したアクアポニックスに可能性を感じ、2014年前身の「おうち菜園」を創業。
翌年日本初のアクアポニックスアカデミーを開講し2017年から約2年間、米国で技術や資材調達を学び帰国後は日本の環境に適応するための試験農場を神奈川県に設立。
2023年9月には青森県藤崎町のアクアポニックス農業ブランディング販路開拓等プランを受託、農福連携活用の企画立案や施設整備等をまとめる。
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掘り起こす廃校の可能性!次世代に必要とされる場所へ!
講師3名とゲストを交えたパネルディスカッション!
探究学習や価値ある地方創生、エネルギー循環型農業などで廃校が輝く場所に!
地域とともに成長し、子どもたちの将来へ残す財産となるためにできることは!
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講演詳細
ゲスト エスプラスカンパニー株式会社 代表取締役社長 堀内 繁喜 1969年 宮古市生まれ
市内で「BAR CAFE the S」を開業、和井内で山葡萄ワイン作りに着手するが東日本大震災により、盛岡へ移転。
2012年に新里地区山ぶどう生産組合の協力でオリジナルブランド「涼実紫」の企画販売を開始し、2014年には東北初出店となるコーヒー店、ミカフェート盛岡店を開業。
2022年に山葡萄ワインの本格生産に向け化学肥料、農薬を使わない畑作りを始めるにあたり、土壌菌群「BUIK菌」と残渣利用の有機肥料と出会い、2023年10月に東北初のBUIKシステム宮古工場を竣工させる。
司会・ファシリテーター
笹原爽志 2001年 宮古市生まれ
高校時代からNPO法人みやっこベースに参画、地域活性化に興味を持ち、2カ国の3つの大学に留学し地域社会についての知見を深める。
卒業後は県外NPO法人や鮮魚店などで企画広報などの仕事を行う。
2020年Uターンで地域おこし協力隊に着任「体験型観光のブランディング化事業」を担当し、2024年3月末で任期を終了した。